金井源次郎

画工未詳「鹿児嶋事件新報」第三号

1877-09-19 「鹿児嶋事件新報」3号
生住昌大 蔵

画題:鹿児嶋事件新報 第三号
判型:大判錦絵
画工:未詳
版元:大阪・金井源次郎
記者:金井源次郎
届日:明治10年9月19日

詞書

去程さるほどに、魁首くわいしゆ西郷隆盛はその居所いどころ日州とは街々まちまちせつ(説)ふんぷん(紛々)たりしかど、山閑深く潜匿かくれしられ、中□以て其行衛(ゆく)へしれざりしかど、いよいよさつのさかい都ヶ嶽みやこがたけ程近ほどちか蒲生がもふいふ仮営かりじんをかまへ、吉田村に守備しゆびの兵をかれ、もつともほん営(本)じんは都嶽孤城地にすへ、もろ口に守兵まもりのへうくばられたり。隊将たいせうには淵辺ふちべ高照、仁禮喜右衛門、重久しげひさ七之助、小健蔵けんぞふとふ、此険地けんちたのみにところどころにらわれ闘戦とふせんす。官軍にはこの景況ありさまきこゆるやいな、衆儀しうぎをかため、此手このて攻将かうせうには高島たかしま少将せうせう旅団りよだんをそなへ、未明みめいより数千すせん精兵せいへう引率いんそつして、整々せいせい堂々どふどふ勇威ゆういさかんに吉田のるいおとし、蒲生がもふよりみやこぜうつきいらんと、曽我そが少将せうせうかね調してふ(子)しめし、左右の翼より進撃しんげきしたりしと云々。あとい追い次号つぎにしらせます。

仁禮喜右衛門、小出健蔵、淵辺高照、重久七之助

所蔵者/掲載図書

生住昌大