明治10年3月届

画工未詳「(鹿児島県)有のそのまゝ」拾一号

1877-03-05 「有のそのまゝ」11号
生住昌大 蔵

画題:(鹿児嶋県)ありのそのまゝ 拾一号
判型:大判錦絵
画工:未詳
版元:大阪・金井徳兵衛
届日:明治10年3月5日/同4月出版

詞書

西南暴動の始りより、をいをい各処の戦撃を有の其侭しらせますが、扨、賊方が此のさはぎを発す、いふにつけ情ない譚が有ますが、其訳といふは、いまだ戦のはじまらない其頃、鹿児嶋へ帰県したる警部方、巡査方、中原尚雄君を初め、其外四拾四人の面々たちを、忽ち暴徒多勢で擒としていふやうは、「其方達は、探索の事情有て帰国なしたるや。イザ、真直に白状シロ」と思ひ懸なき糺問に、否といふ間もあら(ず)、無暫にも荒縄で縛り上げ、鉄杖をもて打、糞汁を濯ぎ、息が絶ゆれば呼び戻し、九死一生、七転八倒。「サア探索の為の帰県で有ふ」と多勢が押ふせ、無勢にむかひ、「相違有まい。此書、西へ」と無理無体拇印させ、惨皓非道、最う此上は首斬か身を絞るか、其面々は血の泪。牢屋につながれ、噂を聞けば、前書を名として、西郷、篠原、桐野、村田は、国政を一変し、都へ勢を操出すと謀るを聞くに、悔しきふるまひなるより、「空しく此まま面々が死にいたらば、此事誰有て急奏すべきや」と四十四人が拳をにぎりしに、牢屋をさつと開かせて、イザと引出すに、「扨こそ首か磔であろふ」とあたりを見れば、こはいかに、西郷勢は操出し、夫に引かへ官兵、巡査方、居ならびて、演舌には鹿児嶋県へ勅使あつて、其手配はととのひたりと聞くに、面々夢の如く九死のがれ、一生を得て、海岸蒸舩に乗移され、四十四人と真宗僧侶八人とも、此程東京へ上着し、青い空を詠(め)られたるは、マア、けしからぬ事。次号はをいをい。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
海の見える杜美術館
福岡市博物館