明治10年3月届

画工未詳「(鹿児嶋県)満ことの電知」六号

1877-03 「まことの電知」6号

画題:(鹿児嶋県)ことの電知しらせ
判型:大判錦絵
画工:未詳
版元:大阪・鈴木利兵衛
記者:鈴木利兵衛
届日:明治10年3月26日
出版:明治10年4月□日

詞書

さて県下くまもと士官しくわん何某なにがしは、官軍くわんぐんうちくはわり、ざましき討死うちじにとげたるが、其妻そのつまはかくときくより、「われも年月としつき国恩こくおんいたゞき、むなしくはてんより、いでやおつと無念むねんすゝがんもの」と、腹帯はらおび十分しめなどし、「いでや賊兵ぞくへいのがさじ」と駈行かけゆくすそをじつとおさへ、「やれまちたまへ」と、年頃としご(ろ)召遣めしつかわるゝ婢女おんなは、「わなみも主人しゆじん御供おんともつかまつらん」と戦場いくさば出行いでゆく。向ふに賊党ぞくとふ姿すがたを見るより、手早てばやつるぎをふりまわし、切込きりこみ突入つきいりくびかき、よい血祭ちまつりとみをふくみ、戦地いくさばえ(へ)さして踏入ふみいつたり。方今いまどきまれなる貞操ていそうなり。

暴徒ぼふとううちには、おやおつと討死うちじにて、其妻そのさい女、いまはせんかたなみだくれ、せめてのことに死骸しがいりともともらわんと、その人数にんじう千余人、あつまつたる女隊おんなたい賊陣ぞくじんえ(へ)ちやくしたりとのこと。長刀なぎなたたづさへ、中年としましろ股引もゝひき、若きは紅木綿べにもめん脚絆きやはん、一やふに鉢巻はちまきなどゝ。あとは次号つゞいて報知しらせます

前半の記事は、「(鹿児嶋県)有のそのまゝ」七号に同じ。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
熊本市博物館
福岡市博物館