明治10年3月届

画工未詳「(鹿児嶌県)有のそのまゝ」拾弐号

1877-03-05 「有のそのまゝ」12号
生住昌大 蔵

画題:(鹿児嶌県)ありのそのまゝ 拾弐号
判型:大判錦絵
画工:未詳
版元:大阪・金井徳兵衛
届日:明治10年3月5日/同4月出版

詞書

西南吉次越への官軍は、木留町に戦ひ、賊が守る処の砲台あまたを乗取り、是より続いて、攻戦昼夜引切らず。官軍には熊本へ達せんとの見込みにて、其鉾先きのはげしきは、電光の絶壁に応ずる如く、激戦勝敗を決せず。去程に、征討総督有栖川宮には、二大隊の兵を随ひ、南の関へと繰出され、それより高瀬へ営を進められ給ふ。八代の官軍は、小蒸気舩にて本営往復を遂す。此度の戦争は去日より田原坂越への大戦が実に前後稀なる大挙にして、官軍苦戦の中にも、陸軍少将大山巌君は、僅か十有余人の兵を御して、一際の突戦なりしといふ。田原の険塁を案外早く略取せられしは、将士方の奇功を奏ずによれりと云々。桐野利秋は、大竹を振り猛戦し、此竹破裂なす頃は、大坂辺へ其身達すとの広言なすとは受がたし。

聖上には、三月三十一日、大坂鎮台に入御遊され、本日八代へ出兵、軍列 叡覧あり。続いて、戦地にて疵傷人を御慰労とし、葡萄酒を下され、将士を御愛撫の有難きは、実に感涙服を浸す。其日、直に西京へ還御あり。跡はをいをい、次号に。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
海の見える杜美術館