浅井金治郎

玉亭芳峰「(鹿児嶋県)西南実記」弐

1877-04 「西南実記」2号
生住昌大 蔵

画題:(鹿児嶋県)西南せいなん実記じつき
判型:大判錦絵
画工:玉亭芳峰(武部安兵衛)/玉亭
版元:大阪・浅井金治郎
記者:浅井金治郎
届日:明治10年4月10日
出版:明治10年4月□日

詞書

さてぼふ一件いつけんは、精兵せいべうぐられ、八ッしろ突前にわかすゝみ、其後そののち兵をわかつて熊本くまもとより川しりおそをきたり。しかるに熊本鎮台ちんだい兵四千八百人、暴徒ぼふとふ皆殺みなごろしにせんと、勇威ゆういらわしすゝまれたり。暴徒は熊本県下けんか高瀬たかせ口、山鹿やまが口、吉次越きちじごへなぞへ分つて、官軍くわんぐん三好みよし野津のづ両将りやうしやう近衛このへ鎮台ちんだい一大隊いちだいたいづゝ引率ひいて、みなみせきに陣す。二月廿五日、廿六日、高瀬たかせ、山鹿の戦争かつせんは、官軍千の兵中へいちうより血気けつきさかんの精兵せいべうゑらまれ、前田まへだ達磨だるまがへさかたゝかひ、たがいにしのぎをけづり、大乱軍おゝらんぐん折柄おりから、暴徒閑道かんどうより出発おしだして、官軍大苦おふくう戦。其後、三好、野津のづ三浦みうらくんおゝいに進撃しんげきす。よつ大勝利おゝしやうりられしなり。廿八日、暴徒ぼふとう大難戦おゝなんせん折柄おりから賊将ぞくしやう第五軍村田むらた新八しんぱち猛威もういらわし、竪横無尽じうわうむじん駆廻かけめぐり、しやうきづおゝ引退ひきしりぞひたり。あと次号つゞいてにしらす。

(中央)陸軍三好君

所蔵者/掲載図書

生住昌大