玉亭芳峰

玉亭芳峰「西南日新記」弐

1877-08 芳峰「西南日新記」2号
生住昌大 蔵

画題:西南日新記 弐
判型:大判錦絵
画工:玉亭芳峰(武部安兵衛)/玉亭芳峰
版元:大阪・勝村利右衛門
記者:内田正鳳
届日:(明治10年8月□日)

詞書

つゞいて官軍進撃しんげき此峠このとふげより鹿児島に下らんと、巡査隊じゆんさたい五百名ばかり、賊軍と火花をらして戦しが、地のしく、やゝともすれば苦戦くうせんといふ所へ、べつ手組駈来かけきたり、死生しせう不論ろんぜずつきふん戦す。此ゑき久留米くるめ士族しぞく西田某、水野氏両ゆうあかはだかにて、精兵せうべうすぐつて百引連ひきつれ、先鉾せんぼふすゝみ奮げき突戦とつせんす。此いきをひにぞくへき易(※壁易を訂す)なし、大に敗走はいそふしたり。台場だいば七ヶ所までおとし入たり。
なを又、官軍一手は二本松を目的もくてきに進撃す。賊将には池部いけべ逸見へんみ十郎太、此所にらわれ彼所かしこにかくれぼふ戦す。尚、さつ賊の中、おどしのよろいちやくし、上にて指揮しきをなすせう姓名せいめいつまびらかならず。勇気ゆうきさかんの官軍勢も、今賊軍の憤戦ふんせんしばあしとゞめ、山頂いたゞきるい壁のり取らんと一手にひをわかせめのぼる。賊は常に庁下てふかへ向け砲射ほふしやする。砲台ほふだいこれ第一のやう所と必死ひつしとなりて激戦げきせんす。日も西山にぼつす。依ていくさ止めたり。此たたかひ、肥筑界ひちくかいたゝかひ此かた第一の戦争せんそふなりとぞ。/内田正鳳記

久留米士族西田氏、久留米士族水野氏、池田吉之助

所蔵者/掲載図書

生住昌大
鹿児島市立美術館