明治10年2月届

永島孟斎「絵入新聞別号記載 西郷君暴徒説諭の図」

1877-02-16 孟斎「西郷君暴徒説諭の図」
生住昌大 蔵

画題:絵入えいり新聞しんぶん別号べつがう記載きさい 西郷さいがうくん暴徒ぼうと説諭せつゆ
判型:大判錦絵3枚続
画工:永島孟斎(永嶌辰五郎)/永島孟斎画
版元:東京・山村金三郎
記者:がくどう
彫工:彫銀、彫工銀
届日:明治10年2月16日

詞書

何時の頃の事にや、西郷君と桐野君と時事を討論せし事ありといふ。「何様なる子細ぞ」と聞に、桐野君は「己下に従前より属してゐたる兵数百人を率て東京へ出張せん」といはれしを、西郷君は是を固く止め、「当今の治勢にみだりに兵を動かす事なかれ。亦、此義を強て果さんとなれば、我亦是を他事に見る事を得ず。不及までも防戦して妨ぐべし。我目の明らかなるうちは、決して事を果さすまじ。我首を得たらん後こそ各名の心に任すべし」と説破せられし由、摘華新聞に見へしと、絵入新聞の別号に記載せしを、再びこゝに抄録す。

鹿児島県の士族が不平を抱いて今般の暴動におよびしが、其実更に解ねど、当月一日、二日の頃には、西郷君の邸へ多人数にて迫り、「是非とも我輩どもへ御同意あるべし」と激論におよびしなれど、西郷君はいささか応ずべき気色なく、条理の趣意を弁解して、いと懇に説諭せられしが、士族等は一向聞入べき様子なく、なをも沸騰して鎮静なすべくもあらざれば、西郷君も力なく此所を退ぞかれしとぞ。島津久光公も士族の勢ひ激烈なるがゆへ、お立退になりしとの事なれば、全く不平士族が屯集して暴動におよひしものなるべし。林内務少補も鎮撫のため出張せられし所、激徒等に国堺を厳重に固めて居て、更に説諭をうけざるとの風聞なりとぞ。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
久留米大学御井図書館
小西四郎『錦絵幕末明治の歴史8 西南戦争』
塩谷七重郎『錦絵で見る西南戦争』
丹波恒夫『錦絵にみる明治天皇と明治時代』