明治10年3月届

画工未詳「(鹿児島県)有のそのまゝ」二号

1877-02 「有のそのまゝ」2号
生住昌大 蔵

画題:(鹿児島県)ありのそのまゝ 二号
判型:大判錦絵
画工:未詳
版元:大阪・金井徳兵衛
編輯:金井徳兵衛
届日:明治10年3月6日届/同3月出版

詞書

偖、西南暴徒の勢揃の場所は、鹿児島城正門の外、大下場跡に、凡二十歩四面に柵を結ひ、広々たる原野に雪降、風はげしく、肌へを削る午前六時、私学校の壮年輩等、着流しの股引懸け、みなみな刀を携たへ、前後の列の擾雑より、同士討の血を争ひ、凡其勢八千人、やがて隊伍を備へ、鉄炮、火縄を粧ふて、西郷の勢、篠原勢は先立て、鹿子嶋県を跡に見て、肥後水俣にて会陣す。○二月廿四日夜、三好、野津の両将、近衛鎮台一大隊づつ率ひて、南の関に陣す。○廿五日、兵を分つて、高瀬、山鹿の戦争。○廿六日、山鹿より進撃、前田、達磨返し坂の戦ひ、暴徒、閑道より出発して、官軍大苦戦。○廿七日、劇戦。暴徒散々追討れ、破れたり。該日、官軍大勝利の電報達し。○廿八日、暴徒、此日の敗北を雪んと、南の関より戦場を開きたれども、利なくして破れ、また、暴徒軍中には、作銘の籏を押立しは、下等輩が手から出るものといふ。○三月一日には休戦なり。○跡は次号に追々報す。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
海の見える杜美術館