明治10年5月届

六花園芳雪「(鹿児島県)明治太平記」

1877-05 芳雪「明治太平記」
生住昌大 蔵

画題:(鹿児島県)明治太平記
判型:大判錦絵
画工:六花園芳雪/六花園芳雪画
版元:大阪・川上作次郎
記者:川上作次郎
届日:明治10年5月12日

詞書

戦争せんそう景況けいきやうはいまだ確報かくほうをきかざれども、熊本城くまもとじやうちう連日れんじつ固守こしゆして、みだりにへいうごかさず、せまればうちにぐればはずして後援こうゑんいたるをまつに、野津のづ三好みよし両君りやうくん大兵たいへいを引て、廿六日ごろ筑後ちくござかいなる南の関にちやくせられ、町にたむろする官兵くわんへい熊本城くまもとじやうちうと三方よりして、城下と植木の暴徒ぼうと掃攘そうしやせらるゝならんとのせつなり。すで一隊いつたいへいうへ木にたむろする暴徒ぼうとにあたつてたゝかひしときは、官軍すこ苦戦くせんにて、一時南の関に引揚、山鹿の官兵くはんへいがつせられしとかきこへたるのみ。其後のはうりがたしといへども、暴徒ぼうともつはとうふるひ、砲烟ほうゑんの下より激戦げきせんするよし。しかしながら、昨こん大兵たいへいがことごとく合期がつごしてうついたらば、数里すりほかにしりぞけらるゝ事、必定ひつじやうなるべし。

谷少将、児玉少佐
弟子丸応助、児(玉八)之進、永山九成、中島武彦、村田三助、篠原国幹、別府九郎、河野四郎、池上四郎、西郷小平、旧正三位陸軍大将西郷隆盛、桐野利秋

所蔵者/掲載図書

生住昌大