生住昌大 蔵
画題:西郷隆盛/桐野利秋/村田新八/別府新助
判型:大判錦絵
画工:梅堂国政(竹内栄久)
版元:東京・山本平吉
届日:明治10年9月25日
詞書
西郷隆盛
隆盛は其前より勤王の志し厚く、種々の艱苦を凌ぎ、戊辰の役、官軍東下の際、難なく江戸城を受取、奥羽の戦を経て北海道に出張し、旧幕の英士を降伏なさしめ、其功莫大なるを以て陸軍大将正三位に任ぜられしが、職を辞して帰県なし、田野に耕し居しが、十年二月、中原を捕縛し、口実の証と名義をなし、自ら大元帥と名のり兵を肥豊へくり出し、官軍と大に戦ひ賊名をうけると雖も、各所の激戦数月を経る中、左の詠歌あり。
民草は萎みゆく世に花荊 刺もて人を何とがむらん
九重の御階の桜ちりちりて 国を守りの人やなからむ
桐野利秋
利秋は旧幕の頃、浪花に英名をのこせし大塩平八郎の男にて、智勇の将たり。維新の際、功あるを以て陸軍少将従五位に任ぜられしが、辞職して古国へかへり、此度暴挙に巨魁となり、山鹿の戦に野津少将と一騎をなして、大に勇名をとどろかせり。
村田新八
旧は薩州の藩にして智勇の士たり。維新の際、各所に於て大功あるによつて陸軍大佐に進みしが、去る年、西郷と倶に職を辞て郷里に皈り、此度の暴挙に一方の大隊長として熊本へ繰出し、烈戦数月を経るのうち、弟三助は討死なすの后、猶奮戦して官軍を悩すこと屡々なりとぞ。
別府新助
旧鹿児島藩士族にして、戊辰の役に大功あるを以て一度官途に進みしが、自ら辞して郷里にかへり、今回西郷に同意して熊本へ出兵し、各所に於て毎度真先に馬を進め、兵士を指揮する事最はげしく、官軍と大にたゝかひ、勇名を遠近にふるふ。
所蔵者/掲載図書
生住昌大