明治10年4月届

永島孟斎「仮名読新聞 第三百十三号」

1877-04-05「仮名読新聞 第三百十三号」
生住昌大 蔵

画題:仮名読新聞 第三百十三号
判型:大判錦絵2枚続
画工:永島孟斎(永島辰五郎)/孟斎画
版元:東京・熊谷庄七
記者:前島和橋投書
届日:明治10年4月5日

詞書

西士せいし菩薩ぼさつ開帳かいちやうはじまッた。やつろャァ。強気がうき兵隊へいたいるは出るは。開帳場かいちやうば景況けいきようは三百九がう珍聞ちんぶんたから、あとはチト素見ひやかし素見ひやかし

なんだ、たいそう見世物みせもの小屋ごやるはへ。こゝは凶苦場きょくば太夫元たゆうもといのち捨次郎すてじろうつぎ西洋せいやう手品てじな賊徒ぞくと首切くびきりじや。あとぶた軽業かるわざいも喰過くひすぎたか。扨々さてさて蛇内あぶないそのつぎ悔悟くわいご降伏こうふく生人形いきにんぎやうそれからえんした力持ちからもち賊徒ぞくとかたもつのが平茶目連へちやもくれん大一座おほいちざ中々なかなか見尽みつくせないからよそう。
これから治平をさめものをやう。立派りつぱものだ。にしきはたに、御幕おまく宮戸川みやとがは功中こうぢう行路菊こうろぎく御花おはな将論しやうろんこれ山形やまがた公中かうぢう素米もとごめ何兵なんびやう鉄砲てつばう功元こうもと勅命ちよくめいかさおだやかすみ千疋せんびき願主ぐわんしゆ走喜兵衛はしりきへゑ労足らうそく歩兵ほへい功中こうちうてふちんとびちう焰硝えんしようりう池花いけばなくつわどめ至極しごくよろしく、あとつくりではないをしへの庭学にはがく、一めんこれかぎる。はやうしたいものだィョ。

(右)大凶苦場命を捨次郎、西洋手品賊徒の首切、椽の下の力持
(左)豕の軽業、降伏の生人形。

所蔵者/掲載図書

生住昌大
鹿児島市立美術館