大倉孫兵衛

大蘇芳年「鹿児嶋戦争之図」

刊年未詳 芳年「鹿児嶋戦争之図」
北九州市立大学 蔵

画題:鹿児嶋かごしま戦争せんそう
判型:大判錦絵3枚続
画工:大蘇芳年(月岡米次郎)/一魁斎芳年筆
版元:東京・大倉孫兵衛
届日:明治□年□月□日

詞書

鹿児島県下賊徒の巨魁西郷吉之助隆盛は、其勢一万四千余人、自ら新政大総督征討大元帥と僭称し、桐野利秋、篠原国幹、池上四郎、永山矢一等と共に五隊に備へ、鹿児島を発し、肥後の国界より二タ手に分れ、一手は本道より進み、一手は間道を経て八代にて合隊し、先陣は篠原国幹、熊本さして押寄たり。維時明治十年二月廿一日午前五時、安政橋をうち渡り、唐人町より京町をこへ、千反畑を右になし、坪井町へと繰出す。兼て期したる官軍方、指令の幡をふると等しく、双方より打出す砲声は、磊々落々として百雷の如く、銃烟り闇々として太陽の輝を覆ひ、火花を散して激戦なす。蓋し西郷隆盛が新政総督と称するものは、新に政府を建るの意にして、窃に足利尊氏の顰みみならひ、一挙九州を席巻し、上国を犯さんと謀ると雖も、明治政府は延元の政府に非ず。人心又是に同じ。何ぞ其意を全ふするを得んや。

(右)西郷小平、肥後小左衛門
(中)篠原国幹
(左)熊本鎮台

所蔵者/掲載図書

北九州市立大学