生住昌大 蔵
画題:西郷隆盛伝 四号
判型:大判錦絵
画工:長谷川貞信(長谷川徳太郎)/貞信画・印
版元:大阪・安田与三郎
届日:明治10年10月15日
詞書
勝氏は素より西郷と知己の友なれ共、今は正非の敵味方。西郷には厳格に云ふ様、「慶喜全く以て謝罪恭順の実体に候はゞ、速かに実効相立、しかる上、寛典の聖断を待べし」との言なれば、安房答へけるは、「主人慶喜、城を出るを以て其実効相立候半哉」と申ければ、西郷尚も云ふには、「主人慶喜、先非を謝し出城に及ぶ上は、今日唯今其臣下たるその許はじめ、直に開城し官旗を牙城に迎へ奉るべし。左なくば君臣同一の謝罪とは言ひがたし」と云ければ、勝氏、「御錠一々御尤にははべれども、今は最早夜深にも成りぬれば、明日開城、官旗をむかへ奉るべし」といふも終らぬその内に、西郷猶こゑ高く、「居城を明渡し、君臣同たいの罪を軍門に謝する栄辱のきに臨み、何ぞ明日を期たん。即時に開城いたすべし」と手誥の談鉾さくるに暇なく、安房いぎに及ばず。かへるやいなや、西郷には諸隊に布令、軍議をとゝのへ、官旗堂々として直に幕城に押入り、官旗を牙城にあげ、遂に該城を降す。尋て大総督に従ひ北越にいたり、平定の功を奏し、また「エゾ」地の賊軍をやぶるに、その計尽ごとく適し、東北既に鎮平に及び、朝廷為に参議に挙るといへども、辞して拝せず薩にかへりしとぞ。あとはおゐおゐ出します。
中村半治郎(のちに桐野)、村田新八、西郷吉之助、篠原国幹、(徳川臣)勝安房守
所蔵者/掲載図書
生住昌大