明治10年8月届

梅堂国政「(鹿児島各県)西南珍聞」第六号

1877-07 国政「西南珍聞」6号
生住昌大 蔵

画題:(鹿児島各県)西南珍聞 第六号
判型:大判錦絵
画工:梅堂国政(竹内栄久)/梅堂国政図・印
版元:東京・山本平吉
届日:明治10年8月23日

詞書

大山おほやま綱良つなよしは、もと摂州せつしう岸和田きしのわだ藩士はんし西田にしだ清太夫せいだいふおとゝなり。天保てんぽう年中、大坂天満てんま東組ひがしぐみ与力よりき大塩おほしほ平八郎は退隠たいいんこゝろざしあれども、二人の男子幼少えうせうなるをて、綱良つなよしえんあつて養子やうしとなり、大塩おほしほかく之助とごうす。しかるに天保八年暴発ばうはつなし、つひ油掛あぶらかけ町にて養父やうふとも自焼じせうせしといつはり、じつ薩州さつしうのがれ、苗字みやうじ一字いちじあらため、大山かく之助と名号なのる桐野きりのは平八郎の末子ばつしなれば、大山とは兄弟きやうだいなり。かつ勤王きんわうこゝろざあつく、維新いしんさい尽力じんりよくなし、若松攻わかまつぜめのをりは参謀長さんばうちやうとして、軍功ぐんこう屡々しばしばなるを以て賞典しようてん八百石をたまはり、じゆ五位にじよせられ、鹿児島かごしま県令けんれいたりしが、今回こたび暴乱ばうらん勅使ちよくし該国がいこくおもむかれし帰路きろ綱良つなよし同舩どうせんにて神戸かうべ着港ちやくこうのをり、官位くわんゐ褫奪ちだつうへ捕縛ほばくとなり、一旦いつたん東京へおくられしが、又長崎ながさき軍律ぐんりつ裁判さいばんこはれしは、をしむべきことならずや。

大山綱良

所蔵者/掲載図書

生住昌大
鹿児島市立美術館