生住昌大 蔵
画題:(鹿児島各県)西南珍聞 第五号
判型:大判錦絵
画工:梅堂国政(竹内栄久)/梅堂国政図・印
版元:東京・山本平吉
届日:明治10年7月23日
詞書
隆盛は其前、旧知事君御直なる探索方を勤居たる故、国中の地理は勿論、諸国風土みな胸中にありて、天資卓絶なり。殊更、和漢洋の学に通じ、報国の志ざし厚く、幕吏の為に洛東の月照と倶に種々の艱苦を受、遂に実功を貫き、戊辰江戸操込の際、勝安房を言伏、難なく江戸城を受取、奥羽の戦ひを経て、北海道に出張なし、旧幕の英士を降伏なさしめ、全平定に及ぶの功、莫大なるを以て、陸軍大将、参議を兼、正三位に任ぜられしが、征韓論の合ざるより職を辞し、帰県なし田野に耕し楽み居しが、明治十年二月上旬、私学校生徒を始め、其余数名暴挙を企、中原を捕縛し、口実の証抔と虚謾の浮言を名義となし、自ら大元帥と名のり、大軍を肥豊へ繰出し、官軍に抗じ、賊名を受ると雖も、各所の激戦に数月を送る中、左の詠吟ありしよし、魁新聞に出たり。
民草は萎みゆく世に花荊 刺もて人を何とがむらん
九重の御階の桜ちりちりて 国を守りの人やなからむ
前陸軍大将西郷隆盛
所蔵者/掲載図書
生住昌大
鹿児島市立美術館
熊本市博物館