明治10年6月届

豊原国周「当世五人男」

1877-06-07 国周「当世五人男」
北九州市立大学 蔵

画題:当世とうせい五人ごにんおとこ
判型:大判錦絵3枚続
画工:豊原国周(荒川八十八)/豊原国周筆・印
版元:東京・児玉弥七
届日:明治10年6月7日

詞書

坂東彦三郎
「遠からん者は鉄砲の音に、音羽の紋所九字ひしなりに曲んだる頑固士族の三隊長、見かけて山鹿、木留口、数度戦場ゑくり出し、さつま造りの刀にて、多くの者を桐野利秋。

尾上菊五郎
「さて其次に備へしは、名も梅幸と花の兄、まづ魁にすゝんだる、肥後熊本の城攻に、力も運もつき、弓も引て返さぬ武士の意地、暴徒が噂、高瀬へ行んと吉次峠の切所にて、重ね扇の七重八重、取かこまれて閃きし、剣の雨の篠原国幹。

中村芝翫
「事もおろかや大軍の、総大将と成駒屋、どふせ終はとふ丸の、かごしま県を出陣し、肥後川尻の本営も、やぶれかぶれと日向路へ、引あげ方のともし火や、消る間近き西郷隆盛。

市川左団次
「名のるもちつと嗚呼がましいが、うつ大砲の音もろとも、その名は早く高嶋屋、米といふ字の兵粮奉行、横に東の我侭は、花に嵐が照る月に、むら雲ならぬ村田新八。

市川団十郎
「さてどん尻の後陣は、暴徒の長と成田屋が、指揮の手配りかけ逐を、人も三升の三の嶽、くま取りならで隈府の陣も、うち崩されて一名を、延岡辺の士族を煽動、こゝやかしこへ集合なす、屯ろにあらで田村啓二。

(右)桐野利秋/坂東彦三郎、篠原国幹/尾上菊五郎
(中)西郷隆盛/中村芝翫
(左)村田新八/市川左団次、田村啓二/市川団十郎

所蔵者/掲載図書

北九州市立大学